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畳替え
畳替えには新畳、表替え、裏返しと種類があるんです。畳替えをご希望の方もこちらからどうぞ。

 


modan2014-02
モダン乱敷き畳
今までの和室がハイグレードな和室に大変身!お気に入りのお部屋になります。店主おすすめです!

 


ふすま・障子・網戸など傷んでませんか?

 


migusa-mesekigreen011
置き畳
フローリングに物足りない方には子育て、くつろぎの空間が手軽にできる置き畳はいかが?

 


畳小物

当店は縁バック、ポーチ、カードケース、コースターなど畳小物もたくさんあります

 


畳ってこんなにすごい
本当は畳ってこんなにすごいものだったんです!


畳とは
そもそも畳って何でしょう?


イ草とは
イ草ってどんな草?どうやって畳表になるの?


畳の語源
「たたみ」って言葉はいつから出来たんだろう。


古事記に出てくる畳
古事記にも畳の記述がありました。


畳の歴史
畳の歴史は古いんです。


畳ってこんなにすごい!

天然のエアコン 畳で夏は涼しく!
イグサの中心にあるスポンジ部分が、湿気を吸い取ってくれます。しかも、空気が乾燥してくると吸い取った蒸気を外に吐き出します。だから、畳の上はいつもサラサラで気持ちがいい状態を保っているのです。

臭いも吸収する畳で空気もキレイに。

空気中にある、人体にあまりよくないガスもしっかりと吸い取ってくれる畳は、部屋の空気をキレイにしてくれます。
畳の部屋にいるだけで、なんだかすがすがしい気分になれるのは、気のせいではありません。


熱の出入りをふせいで冬はあったか。

イグサだけでなく畳の芯の部分も空気をたくさんふくんでいます。空気は熱を通しにくいもの。だから、畳の上は夏は熱を通さずに涼しく、冬は外の冷たい空気を通さず、暖かいのです。
それに冬には部屋の中の暖かい空気を外に逃がさないようにする保温効果もあります。熱の伝わりやすさを表す数値が、畳はほかの床材と比べても小さいことがわかっています。
だから暖房効果が長つづき。畳の部屋は省エネにもなるのです。

うるさい音も防ぐ畳ならではの特徴。

畳には細かな空気の層がたくさんあるのです。その層で、音まで吸い取ってくれるのが畳のスゴイところ。
子供の泣き声やテレビの音、車や犬の鳴き声など家の中の音も外の音も、うるさい音をほどよく和らげてくれるから、勉強にも集中できるかもしれません。
畳はしょうげきを吸収!!赤ちゃんにも安心。

スポンジ部分がいきている畳なら、小さい赤ちゃんや子どもも安心できるクッション性があります。
たとえば、転んでしまっても、フローリングで転ぶときほどしょうげきが少ないのも畳のいいところ。しっかりとしょうげきを吸収してくれるから、ケガも少なくてすみそうです。
床ですわりこんだり、ねころがったりしながら遊ぶことも多い小さな子どもにもぴったり。畳にするだけで、安心して子育てのできる部屋になります。

畳の香りには集中力を高める効果も。

ほどよくリラックスさせてくれる畳の香りには、集中力を高める効果もあることがわかっています。
勉強部屋などにさりげなく畳を使用して、勉強の効果をあげる工夫をしてもいいかもしれません。

畳のアロマで癒し?リラックス効果も。

畳の香りにはすごす人をリラックスさせる効果があります。ほんのりとイグサの香りのただよう空間にいるだけで、なんだかのんびりとくつろいだ気分になるのは、そのせい。
疲れた体にも優しい素材なのです。

バイキンもやっつけるかいてきな畳のくらし

足のにおいの原因になるバイキンを、イグサがやっつけて、イヤなにおいを消してくれます。
ほかにも、おなかを痛くするバイキンや、カビなどをふせぐ力のあるイグサは、これからの新しい素材としても注目されているのです。

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では畳とはそもそもいつ出来上がったのでしょうか?


畳とは

sanchi201307-018
※熊本城の畳
古事記にも「畳」の記載が見られますが、今の畳は平安時代に出来上がったようです。それから1000年もの長い間、湿度が高く、気温の変化の多い日本の風土には、畳の持つ素晴らしい天然素材の特性が最も適した敷物として今日まで愛用されています。

畳表の原料イ草は、湿地に自生する多年生植物。現在は畳表用として品種改良が進み、生産地では熊本が90%以上で残りを福岡・広島・岡山・石川・高知等で栽培されています。

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では畳表の原料であるイ草はどうやってできるのでしょうか?


イ草とは

畳の表面にある一番重要な畳表の材料であるイ草。そもそもい草とはどんな草なのでしょうか。

い草苗001イ草の苗

畳表の原料い草は、湿地に自生する多年生植物。原産地はインドと言われていますが定かではありません。ヨーロッパからアメリカまで広く分布しています。い草は長日植物ですので冬至から夏至まで生育します。熱帯地方では生育しません。日本では畳表用として品種改良が進み、生産地では熊本が90%以上で残りを福岡・広島・岡山・石川・高知等で栽培されています。

い草の栽培は全部で2年にも及びます。
上田さんのイグサ田201403-02
前の年に株を畑に植えそれを育てます。
そして8月に苗床から健康な苗だけを1株1株丁寧に株分けをし、苗床田に植え替えます。
田淵さんのいぐさ田201403-01植え付け後

そしてまた株分けをした苗を12月の寒いときに本田(ほんでん)に植え付けられます。

当店は2月研修を兼ねて熊本にお邪魔することができました。

2月は外が寒いのでいぐさは根を張り成長しています。

イグサ田201401イグサ田01
その後暖かくなると苗も成長します。

上田さんのイグサ田201403-01イグサ田02

4月後半再び熊本を訪れた時にはずいぶん成長していました。
ueda20140420-st01イグサ田4月
その後5月上旬頃、イ草の先端を刈り取り(先刈り)、根元に日光が透る様にして、新芽の発生を促します。

い草の先刈りイグサの先刈り

そして、伸びてきたイ草が倒れないよう網張をして長いい草を育てます。

網張したイグサ田網張り
6月下旬~7月中旬にかけ、イ草を機械で刈り取ります。いぐさは長日植物(冬至から夏至まで成長する植物)なので植え付けと収穫の時期はずらせません、農家の方は大変な作業です。

い草の刈取り い草の刈取り

いぐさ収穫 いぐさ収穫

いぐさはすぐに水をかけ冷やします。いぐさの脂分が出ないようにし、三原粘土などを溶かした水に浸け「泥染め」します。こうすることでい草が均等に乾燥し色ムラがなくなり、香りも良くなります。

いぐさの冷却 いぐさの冷却

泥染め01 泥染め01

泥染め02 泥染め02

その後乾燥機に入れ乾燥させます。釜出しは早朝に行われます。

釜出し01 釜出し
袋に入れたいぐさは染土となじませるため寝かされた後、畳表に縫製されます。

縫製01 縫製

こうしてたくさんの時間と手間をかけて畳表になります。

畳表一枚には5000~7000本のイグサが使われ、田んぼ1坪で約畳1枚、使う水の量は2~2.5トンも使うそうです。

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畳の語源

広辞苑で調べてみました。

1.たたむこと。
2.古く、むしろ・こも・皮畳・絹畳などの敷物の総称。
3.藁(わら)を糸でさしかためた床(とこ)に藺(い)で編んだ表をつけ、
家の床(ゆか)の上に敷くもの。しきだたみ
4.草履(ぞうり)・雪駄(せった)・下駄(げた)などの表につけるもの。
藺(い)・籐(とう)または竹の皮を編んでつくる。
と書いてあります。

人類の誕生当時、食料にした動物の皮を住居の床に敷いていたでしょう,また
蔦(つた)や、菅(すげ)などを使って編んだ敷物が作られていたかもしれません。

縄文時代後半に稲作が日本に入って来ました。当時は稲刈りは稲穂の部分だけを
刈り取ったようです。残った稲ワラを多分住居の床に敷き詰めたことと思います。
その後、わらを編んで持ち運びが出来るようにした。それが菰(こも)、筵(むしろ)です。

古代日本では何枚も重ねて使ったようです。また良い敷物はたたんでおいて
お客様が来たときに使ったり、寝るときだけ出して使ったりしたのではないでしょうか。

そんな所から「たたみ」という名前が生まれたようです。

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古事記に出てくる畳

しかし始めて文献に「たたみ」と言う名前が登場するのが、わが国最古の史書である「古事記」です。この書物が出来たのが和銅五年(712)ですから奈良時代最初です。

その「古事記」に登場するのは最初に上つ巻の「海幸彦、山幸彦」のくだりです。おとぎばなしにもなっていますよね。

あらすじは、海幸彦の釣り道具と山幸彦の弓矢を交換した2人ですが、山幸彦がいじわるな
兄さんの海幸彦の釣り針を無くしてしまい、海の神の宮殿に向かいます。 山幸彦は海の神の
娘の豊玉毘売(とよたまひめ)と出合い、海の神にもてなされて、結婚して3年暮らしました。

そして釣り針を返してもらい、海の神に協力してもらっていじわるな兄さんの海幸彦を凝らしめる・・・と言うストーリーですが

海の神が山幸彦をもてなす場面で

【みちの皮の畳八重を敷き、また絹畳八重をその上に敷き、その上に坐せて、百取の机代の物を具え、御饗(みあへ)して、すなはちその女豊玉毘売を婚(め)はしめき。】 アシカの皮の敷物を幾重にも重ね敷き、絹の敷物を幾重にも皮畳の上に重ね敷いてその上に御子をお坐らせして、多くの結納品をおいて、ご馳走をして娘の豊玉毘売と結婚させました。

とあります。ここでいう畳とは薄い敷物の事ですが「畳」と言う名前が文献に出てくる最初でしょう。ただこの解釈には、あしかの皮を八重に折りたたんで、絹をその上に八重に折りたたんで、その上に座らせて・・・というのもあるようですが。

中つ巻の神武天皇(じんむてんのう)の記述にも畳は登場します。

神武天皇が伊須気余理比売(いすけよりひめ)を見初めて狭井河(さいかわ)のほとりにある伊須気余理比売の家においでになって、一晩一緒に過ごしました。

後に、その伊須気余理比売が橿原の宮中に参内したときに、神武天皇が歌をお詠みになられて

葦原の  しけしき小屋に  菅畳
いや清(さや)敷きて  我が二人寝し

(葦の原にある きたない小屋に 菅(すげ)で編んだ薄畳をいちだんと清らかに敷いて 私たち2人は寝たことよ)

そして伊須気余理比売は皇后になられたのです。

この御歌にある菅畳とは菅で編んだ薄畳だろうということは間違いないところでしょうね。

また中つ巻の景行天皇(けいこうてんのう)の所にも畳の記述はでてきます。ここはお馴染みの倭建の命(やまとたけるのみこと)のお話の部分です。

倭建の命が熊曾・出雲征伐(くまそ・いずもせいばつ)から都にお帰りになった後、天皇は東国も平定するように仰せになり、東国の走水の海(今の浦賀水道、神奈川県横須賀市走水に走水神社がある。)を渡ろうとした時のこと、渡し場の神が波を立て、船を回して進み渡ることが出来なかったのです。

その時、后の弟橘比売(おとたちばなひめ)が「私が御子の代わりに海中に入りましょう。」と言ったのです。 弟橘比売が海に入ろうとするときに、菅の畳を幾重にも、皮の畳を幾重にも、絹の畳を幾重にも波の上に敷いてその上に下り座られたのでした。

弟橘比売によって荒波は静まり、船は渡ることが出来ました。その時に后は歌われて

さねさし 相模の小野に
燃ゆる火の 火中に立ちて 問わし君はも

(相模の野では燃える火のその炎の中に立って呼びかけてくれた君よ)

そして七日後に流れ着いた后の櫛を御陵に納めたというくだりです。ここでは上つ巻の火遠理命(山幸彦)のくだりで海の神が火遠理命を迎えたときの『みち(アシカ)の皮の畳八重を敷き、また絹畳八重をその上に敷き』とあるのに関連して弟橘比売が海の神の妻になる(人身御供)ときに菅の敷物を重ね皮の敷物を重ね、絹の敷物を重ねて海神の妻としての条件を整えたと解釈されています。

参考文献

* 荻原浅男著 日本放送出版協会 NHKブックス「古事記への旅」(S54)
* 西宮一民校注 新潮社 新潮日本古典集成「古事記」(S54)
* 山口佳紀、神野志隆光校注・訳 小学館 新編日本古典文学全集1「古事記」(1997)

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畳の歴史

奈良時代

奈良時代には「御床畳」など本格的な畳ベットがありました。「御床畳」(ゴショウノタタミ)とは木製の台の上に置かれた敷物で、聖武天皇が寝台として使用したものですが現在も奈良東大寺の正倉院にあります。現在の畳と同じようにこもを編んだムシロのようなものを数枚重ねて表にイ草をかぶせて錦の縁をつけたものです。

平安時代

平安時代は貴族の邸宅が寝殿造りになります。寝殿造りとはほとんど板の間で今の椅子や家具のように畳を所々に置きました。ベットやいすと考えると今の形に近いですがこの畳は形や大きさが位によって決まっていたようです。百人一首や当時の絵巻物に描かれていますね。

鎌倉・室町時代

鎌倉・室町時代は武士の時代になります。家の形も一部の上流階級では書院造と呼ばれる形が出てきました。たぶん武士との格差を求める形で位の象徴である畳を部屋全体に敷きつめる使い方になったのではと思います。そのため家具(ファニチャーFurniture)だった畳が建材・備品(フィックスチャーfixture)になる始まりです。

安土桃山・江戸時代

武士の階級が上に上がるにつれ、貴族階級の様式はだんだん武士階級へ普及し始めます。書院造もたくさん作られ始め、使いやすく小部屋が多くなってゆきます。特に茶道の発明で数奇屋風という書院造ができてゆきます。
茶室建築は大町人にも普及していき、それに伴い、畳も広まっていきます。

畳は江戸時代になり、庄屋、町人などにも普及しますが一般庶民はまだまだ板の間の生活でした。庶民にとっては畳はぜいたく品だったのです。江戸時代の長屋では、畳は長屋を借りる店子が運び込んで使ったと言われており、大家が用意しておくものではありませんでした。それだけに畳の手入れをして長持ちさせる知恵を身につけていったのです。

長屋001

畳については関連団体のサイトもございます。

  1. 全国畳産業振興会
  2. 熊本県いぐさ・畳表活性化連絡協議会
  3. 敷物新聞社

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